(1)講義のねらい
- 労働観の変遷=労働史を映画から見る。
- 主に「労働映画百選」(NPO法人働く文化ネット)から選んだ、日本の労働映画を概観する。
- 映画を素材に、「働くことの意味」を考える。
(2)労働映画とは
労働映画とは記録映画、劇映画を含め、仕事と暮らしの実態や、その改善の取り組みを描く映像作品をさすもの。具体的には、①労働者の仕事と生活の実態を描くもの ②労働者の仕事と生活の維持・向上をめざす運動や取り組みを描くもの
(3)紹介された作品とその視点
- ①「大学は出たけれど」
高学歴ワーキングプアの先駆け、大学進学率と就職率について。昭和の長期不況と大恐慌から戦争への道
- ②「あゝ野麦峠」
女工哀史の世界と「百円工女様」。日本資本主義の発達と女子労働。
農家の娘たちはいかにして労働者になったか。蚕の蛹から糸をとる作業の「臭い」への嫌悪。戦後も同じような作業が続いた。
- ③「キューポラのある街」
下町の工場、在日朝鮮人、高度経済成長の歴史背景と、後からそれを見る現代の私たちのまなざし。
- ④「フラガール」
石炭から石油へ、産業構造の転換をいかに成し遂げるか。
1966年、常磐炭鉱閉山によって生まれた「常磐ハワイアンセンター(現在のスパリゾート・ハワイアンズ)」。労組は既得権益を墨守する「保守派」?
- ⑤「生きる」
無気力に「お役所仕事」をこなしてきた公務員が癌で余命半年と知り、自分にできる最後の仕事に情熱を注ぐ。
公務員への視線:「公務員、遅れず休まず働かず」に維新の会などによる公務員バッシングの背景ともなる。
「生きる」から半世紀経った「県庁の星」は、スーパーの店舗へ研修に来た県庁職員が、役所の常識が通じない「民間」の世界を学んでいく作品。
- ⑥「マルサの女」
脱税の手口とそれを摘発する側の丁々発止。これも公務員映画。バブル景気が始まるころの世相を背景にしている。
- ⑦「ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない」
「失われた10年」以後も続く長期不況と労働問題「ブラック企業」という言葉を人口に膾炙させた、掲示板2chでのスレッドが原作の原作。
労働問題が真正面から取り上げられたフィクションは21世紀になって初めてではないか。個人の努力によって問題を解決する、という結末をどう評価するか=労働組合弱体化の表出
- ⑧「ダンダ・リン」(テレビドラマ)
若き労働基準監督官がブラック企業を気持ちよく摘発していく。一話ずつが労働法の勉強になるという優れもの。
- ⑨「WOOD JOB!〜神去なあなあ日常」
既に産業として存在し得ないほど衰退している林業に若者を呼ぶことはできるのか?「緑の雇用」制度が開始されてまもなくの状況を描いた原作小説が元になっている。林業の厳しさと同時にその素晴らしさも描いた。
- ⑩「空飛ぶタイヤ」
大企業のリコール隠しに挑む中小企業の経営者。労使対決ではなく、大企業と中小企業の対立を描く。残念ながら労組の姿は描かれない。
(4)まとめ
映画の中に描かれる労働者は時代を映す鏡でもある。働く者の歴史を知り、知られざる職業実態を知るには格好の素材。
「働く」とはどういうことか。何を求めているのか。何を得て何を失うのか。生きることの意味は「労働」の中にあるのかないのか。過去から現在を照射するものとして古い映画からも学ぶことは多い。喜びも悲しみも、楽しみも苦しみも、働く中にある。働かない、という選択も含めて、働くことを考えてみよう。 |