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コラム「徒然なるままに」(2009年6月)

豊かなライフ?

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

家族団欒のイラスト 最近、私が最も心がけていることは、非常にささやかなことであるが、“夜8時台には家で夕ご飯を食べよう”ということである。

 当たり前と言えば当たり前のことなのだが、今までなかなか実現しにくい事項であったし、私の中でもそんなに意識してこなかった事柄であった。しかし、夜8時台に夕食をし、テレビなどを見てゆっくりできる時はそれだけで何となく満ち足りた気分になり、家族との対話も心なしか豊かになった気がする。

 ずっと共働きであった私は、子どもたちが小さい時は「9時には寝かさなくちゃ」と思い、まだ仕事がしたくても途中で切り上げて職場を後にし、子どもたちには「早く!早く!」とせきたてて食事をさせ、風呂に入れと…。寝かせてからもバタバタと家事をしながら合間に持ち帰った仕事をする…という暮らしだった。そのころは、子どもたちとの暮らしは暮らしで楽しいものの、いつか子育てがひと段落したら思う存分仕事をしたいといつも思ってきた。そして、二人の子どもが大きくなり、ある意味何時までも職場で仕事を続けられることが“当たり前”になった同時期に組合活動にもかかわるようになり、仕事や組合活動を最優先させ、自分や家族との時間をゆっくりもつことは後まわしにしてきた。

 もちろん、仕事も活動も「やらねば」と言う使命感だけではなく、おもしろくも楽しくもあり、暮らしの一部として取り組んできたといってもいいかもしれないのだが。

 「ワーク&ライフ・バランス」の言葉や理念がよく使われるようになった。このバランスを一日の働き方・暮らし方ではなく、一生の中でのバランスと考えれば、私の40年の仕事人生はワークとライフのバランスはそれなりに取れていたと言えるのかもしれない。しかし、「ライフの中身が果たしてこれでよかったのか?」と今思っているのだ。

 「尊厳ある働き方」などワークの中身の豊かさを求めていくことは、今大きな課題である。同時にライフの豊かさもコインの裏表の関係として共に考えていかないといけないだろう。もちろんそのためには大きな社会像の転換、政策の転換、意識改革が求められており、そのための運動推進はこれからの必須課題でもある。

 私としては、遅まきながら、ささやかながらではあるが、「豊かなライフ?」にむけて少し意識を変えていこうと思っているのである。