コラム「徒然なるままに」(2009年3月)
連合大阪 事務局長 脇本ちよみ
近ごろ、毎朝駅で会う“気になる人”がいる。
白い杖をもった女性である。私と同じくらいか少し若いかもしれない。生まれつき目が悪いわけではなく、中途失明の方ではないかと思われる。なぜなら、白い杖で点字ブロックをひとつひとつしっかり確かめながら、ゆっくり歩いておられるからだ。
改札口で出会うとき、階段で出会うとき、ホームで会うとき、少しの時間の違いで出会う場所は色々だが、会うといつも気になるのだ。
“点字ブロックに沿って人とぶつかることなく歩けるだろうか”
“階段の手すりがわかるかな?階段で転んだりしないかな?”
“改札口をちゃんと通ることができるかな?”
“改札を出た左の通路は工事中だけど大丈夫かな?”
といろんなことが気になってしまうのだ。
「もう少し右に行くと左手で手すりが持てますよ」「そのまままっすぐに進むと改札ですよ」「この先工事中だから、なるべく右に寄って気をつけて歩くといいですよ」など、気がついたらその都度声をかけるようにしているのだが…。
でもうれしいのは、彼女を気にしているのは、私だけではないことに最近気づいたことだ。私のようなおばさんやお兄さんや二人連れの高校生たちいろんな人たちが声をかけたり、心配そうに見守ったり、手助けしている風景に良く出会う。そんな朝は何となくうれしい温かな朝になる。
そして、彼女もとてもさわやかだ。声をかけたり、手助けをしてくれた人にすごく明るい大きな声で「ありがとう!」と答えてくれる。その声を聞くと“気にしたこと”をよかった!と思える瞬間である。
「人」ってなかなか大変である。思うことが伝わらなかったり、好き嫌いや性格の相性だってある。コミュニケーションが難しかったり、わずらわしかったり、気遣いをしすぎたり無駄だったり…。
「人」との関係を紡ぐことに時として疲れてしまうことも多い。でも、やはり「人」は「人」を気にかけてこそ「人」なのだと思う。「人」を気遣うこと「人」を思うことをお互いが続けることが、結果として「人」にやさしい社会をつくることなのかもしれない。