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コラム「徒然なるままに」(2008年9月)

大きな明日へ〜だれもが普通に暮らせるように

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

 2008年8月、北京オリンピックが開催された。

コスモス オリンピックを見ながら、一人の教え子との再会を思った。それは、今年のメーデーの集会後である。壇上から降りてくる私に「先生」と声がかかった。「えっ? いつの教え子?」と思う私に「H小学校のTです」と声が続いた。「あ〜T君!」そういえば面影がある。約20余年ぶりの再会である。「実はT会社に就職していて、今日は動員で来ました。開会して、あっ先生やと思って待っていました」と…。こんなときは本当に“教師冥利”につきると心からうれしくなる瞬間である。

 彼は、在日韓国の三世である。小学校5年、6年を担任したのだがその当時本名で登校していた。歴史の学習や人権の学習では「朝鮮半島と日本との歴史」を意識して学ぶようにしたし、多くの在日の人が日本に住む事実や背景や差別の実態などについても、私なりの思いをもって伝えてきたつもりである。

 思い出すのは卒業前「大きな明日へ」という劇をクラスみんなで取り組んだこと。脚本の大筋は私が作成したが、それを元にクラスの子どもたちと放課後にいろんな思いの出し合いや話し合いを持って修正をし、結局1時間くらいの結構長い本格的な劇になった。子どもたちは、「卒業公演」と名づけて手作りのチケットを作成し学校中に配り歩き、毎日放課後、練習に精をだして取り組んだ。時々さぼって帰る子どもがいたり、いい加減な練習になったりすると、私の「やめてしまい!」という怒号が飛んだり、子ども同士でもめあったりしたが、結局卒業何日か前の土曜日午後、体育館での「公演」にこぎつけた。当日はどの子どもたちも本当にいい表情で、最初お義理で見に来てくれた学校長が涙を浮かべて最後まで見てくれ、子どもたちをほめてくれた。

 その劇は、子どもたちが将来への不安を出し合いながらも、みんなで助け合って「明日」にむかって進んでいこうという内容のものであったが、その不安の一つに彼は「在日」であることをあげ、「僕は朝鮮人やろ。そのためにいやな思いもしてきたし、将来のことを考えたらすごく不安やなあ」という趣旨のセリフを述べたことを思い出す。

 メーデーでの再開後、彼との何回かのメールのやり取りの中、“日本人じゃないのに、なぜイチローを応援するんだろうとか今も考えることがあります”ということや“今も時々悩みます”という内容のメールをもらった。小学校卒業後も大人になった今も、彼は彼のアイデンティティーについていつも悩んできたのだと、なぜか切なくなった。なのに私は“いくつになっても性別や国籍に関係なく悩みはつきものです”のようなありきたりな返事を出してしまい、後でその自分に非常に落ち込んだ。

 オリンピックでは各国の選手が真摯に競技しお互いをたたえあっている。それを見ながら、だれもが「生まれ」や国籍で悩むことなく普通に暮らせる社会をみんなで創っていきたいとあらためて思った。