コラム「徒然なるままに」(2007年1月)
連合大阪 事務局長 脇本ちよみ
「号泣力」という本を読んでいる。出張の際、空港での待ち時間に本屋でふと目にとまり、「号泣=おお泣き」が「力」になるということにちょっと興味をもち買ったのだ。読んでみると「ストレス=背の重い荷物」を降ろすのに「泣く」ことの効用がいろいろと解いてありおもしろい。
「上司や部下に言いたいことが言えない」「自分のしたい仕事が完成させられない」「自分に力がなくうまくいかない」「上司や同僚など周りに自分が理解してもらえない」—などの仕事上の悩みや人間関係のイライラ、落ち込みなどのストレス。「離婚」や「失恋」または「借金」「いじめ」など、人になかなか話せない内容で悩み、苦しんでいること。そんな大きな荷物(ストレス)をいったん降ろして楽になるために、「泣くこと」「涙を流すこと」を勧めているのだ。事態の解決になどならなくてもいい、とにかく重い荷物を降ろしていったん楽になるために「泣ける力」が必要だ…と。涙には「カタルシス(精神的浄化)作用」があるのだと、涙の成分も含め科学的根拠を示しながら書いてある。
映画やテレビ、本などを見て泣いてもよし、一人でいろんな場面を想像して自分を悲劇のヒロインに仕立てて泣いてもよし、腹が立つことや言いたいこと、満たされない思いや胸に秘めてきた思いなどを、いすとか木とか花とかぬいぐるみとかの物(正確には言いたい相手に見立てた物)に対して思い切りぶつけて泣くもよし、—とにかく「泣こう」と書いている。私も、ストレス解消にはとにかく誰かに話を聞いてもらうことが一番だと思うが、そんな機会がなくひどく落ち込んでいる時など「涙が胸にあふれている」と思う時もあり、一人になった途端にそれがこぼれ落ちることもあったなあと思う。この本を読んで、「それはいいことだったんだ!」と妙に納得した。
考えてみれば、「泣く」ことは誰にでもある大切な感情でありながら、そんなに「いいこと」として評価されてこなかったような気がする。「そんなに泣きなさんな!」「いつまで泣いてるの」「すぐにめそめそするんじゃない」−と子ども時代から言われてきた。特に男性にとっては「男のくせにめそめそするな」「男が泣くな!奥歯をかみしめろ」「人前で涙を見せるな」というように、「泣く」ことは「弱いこと、男らしくないこと」とされてきたのではないか。人前で取り乱すことは美徳ではないと言う考えもあり、泣くことも含め「喜怒哀楽」という人として基本の感情を心の奥へ奥へと封じこめられてきてしまったのではないだろうか。
現代はストレス社会と言われる。そして「泣かない大人」が増えているという。大人だけでなく「サイレントベイビー」といわれるように、赤ん坊も子どもも泣かなくなっているらしい。果たしてこのままでいいのだろうか?
泣くことだけでなく、もっと人としての感情が自然に出しあえる職場や社会になっていくことが「ストレス」のない社会に近づくことかもしれない。