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コラム「徒然なるままに」(2006年8月)

三つの感謝を探す

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

 私はどちらかというと抹香臭いところがある。まず、寺巡りが好き。お線香の香りもとても好き。香水よりもにおい袋がいい。また、お灸(きゅう)も好きだし,体にも合っているような気がする。ラップもいいけど、渋い声のお経もなかなかいいと思う。

お寺のイラスト 子どものころ、大変な“おばあちゃん子”であった。祖母は非常に信心深い人であり、お寺参りが日課であった。幼いころ、祖母に連れられよくお寺に行った。一番覚えているのは、お釈迦(しゃか)様が亡くなった、陰暦2月(今は3月)の15日に行われた「涅槃会(ねはんえ)」である。

 沙羅双樹(さらそうじゅ)の下に横たわる釈迦尊を多くの弟子たちや動物たちが取り囲み嘆き悲しんでいる絵(=涅槃図)がかけられた寺の本堂でみんながお経を読み、最後にきれいな模様の「涅槃団子」をもらって帰る行事である。帰ってから涅槃団子を焼いて食べる楽しみももちろんあったが、何よりもそのとき見た「涅槃図」を今も鮮明に覚えている。子ども心に「こんなに多くの人が嘆き、悲しんでいて、この人はすごい人なんだな」「蛇やカエルまでもが泣くなんて、本当に優しい人だったんだお釈迦様は…」と思って眺めたものである。

 その涅槃図に久しぶりに出会った。中国でである。7月9日から連合大阪訪中団として上海市総工会との交流を主に中国を訪れた。その際、北京の博物館でこの涅槃図の石像を見つけたのだ。子どものころ見た、「涅槃図」にそっくりの絵でとても懐かしい思いがし、涅槃会や涅槃団子など遠い記憶がよみがえった。

 この訪中の8日の間、ふと思い立って簡単な日記をつけてみた。大きな理由は何もないが、まずテレビを1日も見ない生活であったこと、また夜ホテルの部屋に帰ってからは、日常にはない「一人」での生活であったことが「日記でもつけようか…」と思ったきっかけである。そしてその日記の最後に「三つの感謝」を書き加えてみることにした。何かの本に「三つの感謝」を書いてみると一日が違って見えるというようなことが書いてあったので、やってみようかと思ったのである。

飛行機のイラスト 毎日書き出してみると、意外と「三つの感謝」を探すのは難しい。腹立たしかったことや愚痴や悔しいことは次々と出てくるのに、「感謝」はなかなか出てこない。「飛行機が落ちずに感謝」とか「安いお土産が買えて感謝」とか何とも小さな感謝しか出てこない。「人間ができていないなあ…」と反省をした。「感謝の心」を持ち続けるということは人としての謙虚さであり、包容力であり、他者との共存の基本につながることだなあとあらためて感じたところである。

 子どものころ、私の母は「感謝をしなさい」「感謝を忘れないように」といつも言っていた。あまり言われることに私は「常に感謝・感謝しか考えていないと、本来きちんと要求すべきことも見えなくなるじゃないか」と反発していたものである。しかし、私に諭していた母の年齢をとっくに超えた今は、きっと鼻っ柱が強く生意気な小娘の私を心配して言い続けてくれていたのだと素直に感謝できるようになった。やはり親の愛はありがたい。今年の夏は父の17回忌、母の13回忌を迎える。