コラム「徒然なるままに」(2006年7月)
連合大阪 事務局長 脇本ちよみ
紫陽花の花が美しい季節になった。私は赤紫・青紫の丸い紫陽花の花が大好きであり、この季節は雨が多いにもかかわらず結構好きなのである。
紫陽花の季節になると思い出すのはMちゃんのことである。
現場にいたころ、この季節になると必ず子どもたちに紫陽花のはり絵に取り組ませた。まず、絵の具の赤・青・黄色の3色を混ぜ合わせて紫陽花の色を作る。赤が多ければ赤紫に、青が多ければ青紫になる。その色を和紙に水をたっぷりつけた筆で帯状に塗り、順次下まで色をつけていく。その和紙を乾かして小さくちぎり、画用紙にはって丸い紫陽花の花を作っていくのである。かなり手間のかかる作業であり、集中力が必要だ。
1年生でも6年生でも同じ作業をするのだが、子どもたちの年齢に応じて和紙の色合いもはり方もさまざまの表情を見せ、趣があっておもしろいのだ。
Mちゃんは当時2年生。少しいろんな意味でゆっくりの子どもだった。何をしてもみんなよりテンポが遅く、学びもゆっくり、動作もゆっくり、走りもゆっくり…。周りの子どもたちは、声にこそ出さないが「どんくさ…」「のろい…」という思いを目線・視線で表現していたし、中にはあからさまに差別的な取り扱いをする子もいて、私は内心気にしていた。それが、このはり絵で変化が起こったのだ。
Mちゃんはきっとこんな作業が好きだったのだと思うが、すごく細かく和紙をちぎり本当に丁寧に一つ一つはり続けた。クラスのみんなが全部作業を終えても、一人黙々と花びらのはり絵を続けていた。それはみんなが帰った放課後も続いた。そして大輪の紫陽花をはり終わった時の彼女の満足気な顔を今も覚えている。次の日登校してきた子どもたちは、掲示板の彼女の作品を見て「わぁー、きれい!」「大きい!」「すごく細かい。丁寧!」と素直に褒めたたえたのだ。
それから、周りの子どもたちはMちゃんが少し遅くとも「待つ」ことを覚えた。そして「待つ」ことから「励まし」へとそれは形を変えた。何がそうさせたのか、私には今も明確な答えは見つからない。ただ、「一生懸命やる姿」や「一生懸命の後の結果」に、子どもたちなりの感動を感じたことが変化のきっかけではなかったかと思う。
「差別はいけません。助け合いましょう」という言葉はたやすい。しかし、それだけでは共感も連帯も仲間も生まれない。遅いなりの、下手なりの、不器用なりの、失敗なりの、しかし「一生懸命の証し」が人を動かすのだなあ…と私はそのことをその後の多くの子どもたちとの接点にしてきた。もちろんそれは、私自身の向き合い方にも求められることでもあったが。
今の社会、なかなか「一生懸命さ」が評価されなくなっていはしないか。むしろ「一生懸命、力を出し切って取り組む」ということを揶揄(やゆ)したり茶化したりされてはいないだろうか?適当に要領よくやり過ごしたり、うまくすり抜けたりすることや人の方がいい目をしていることはないだろうか?
労働組合とて同じである。「一生懸命働くものが報われる」−言葉だけではなく本当にそんな社会にしたいものだとあらためて思っている。