コラム「徒然なるままに」(2006年3月)
連合大阪 事務局長 脇本ちよみ
久しぶりに映画を観た。「スタンド・アップ」、アメリカのミネソタ北部、男女比率30対1の炭鉱で働く女性が起こしたセクハラ集団訴訟の実話(1989年)に基づく映画である。
主人公のジョージは夫の暴力に耐えかね、息子と娘の二人の子どもを連れて家を出、故郷のミネソタ、炭鉱の町に戻ってきた。シングルマザーの彼女に向けられる街のみんなの視線は冷たく、父親からは無視され、母親からは「我慢をして夫とやり直せ」と言われる。しかし、ジョージは自分の力で働き、稼ぎ、二人の子どもを養い、生きていくことを決め、そのために街の男たちに混じって炭鉱で働くことを選択する。その炭鉱で長く働くベテラン労働者の父親は「お前のような女なんかに男の職場が勤まるか!」と猛反対する。そして、炭鉱での働きが始まるが…、それはとてつもなく過酷なものだった。仕事そのもののきつさではなく、男の職場だった場所に入り真っ直ぐに疑問を投げかける彼女へのむき出しの敵意、露骨な嫌がらせ、卑わいな言葉の洪水、レイプ未遂…ありとあらゆるセクシュアル・ハラスメントが繰り広げられる。
数少ない女性の同僚も、心では彼女に共感しつつも状況がさらに悪化することを恐れ、誰も味方にはなってくれない…。無力さに押しつぶされそうになりながら、彼女はひとりでもとにかく「立ち上がる」ことを選ぶ。
この映画はセクシュアル・ハラスメント、ドメスティック・バイオレンス、シングルマザーの自立、男女平等などの大きな社会的課題を提起している。しかし、同時に親と子のきずなや情愛、深い友情、人としての尊厳、自分の言葉を持つことの重み、など…人間の深い部分での訴えを感じる映画だった。
労働組合といえども彼女の味方ではない。彼女を解雇させようというユニオンの集会の場面で、やじと怒号のなか彼女が演台に向かい訴える。「私は普通の幸せがほしいだけ。なぜ普通に働くことが認められないのか!」。その言葉にもやじと怒号が飛ぶ。その時、やじと怒号の側に座っていた父親が立ち上がりマイクを持つ。「この炭鉱(やま)で働くことも、ここで働く仲間も俺の誇りだった。しかし今誇れるのはこの娘だけだ。家族同士でバーべキューやダンスをして、だれが同僚の妻や娘の尻や胸をさわり、あばずれと呼ぶか? どうして働く場は別なんだ? ジョージは俺の娘だぞ!」と語る場面は非常に感動的である。
彼女が立ち上がろうと決意し、自分の言葉を語り、そのことが父や母、友人、反抗していた息子、同僚をも変えていく。大きな勇気をもらった映画であった。