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コラム「徒然なるままに」(2007年4月)

深いところでのため息や哀しみを知る…社会を

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

 「女は産む機械(?)」発言でひんしゅくをかい、批判をあびた柳澤厚生労働大臣は辞任要求を迫られていたが、いつのまにか次々と「政治と金」の問題が噴出し、結果として辞任要求もどこかに行ってしまった感がある。

 この問題発言が起きたとき、思い出したのは「嫁(か)して3年。子なきは去る(嫁いで3年たっても子どもができなければ離婚)」という「女大学」の格言である。封建時代の家制度を守る意味で「子ども(跡継ぎ)を産むこと」が女性の務めであった時代。子どもができないことの理由がたとえ夫側にあったとしても、女性が責められ離縁された時代の言葉である。これら「女大学」の格言を初めて知ったのは、小学校の高学年のころであるが、「女って損…」と幼いながら憤りや哀しみを感じた覚えがある。

 そして今、随分と社会は変わった。女性自身の生き方も、「夫婦」のありかたも、求められる役割も、働く場も、あらゆる面で変化してきている。社会的な法律も条令もシステムも整備されてきている。

 しかし…、今話題になっている「代理母出産」をめぐる裁判の問題。離婚後300日以内に出産した子の認定をめぐる民法の問題。産科や小児科の人手不足がいわれる中、それらの診療科には近年女性医師が多く、妊娠・出産・育児などの理由で夜間診療や休日診療ができにくくなり第一線から退くことが多いことが言われている問題。などなどを思うにつけ、何かしら割り切れない思いがこみ上げる。

 女性が「産む性」であることは、間違いない事実である。また新しい命が「生まれる」ことのすばらしさはみんなが認めるところである。だが、“産めない時”や“産まない時”の周りからの有形・無形の非難や批判への思いはもちろん、“産む時”ですら手放しでは喜べない複雑な思いが女性には結構あるのではないかと思う。「妊娠」を知った時、うれしさと同時に「仕事は辞めずにすむだろうか?」「職場のみんなはどう思うかな?」などの思いが交錯し、お腹の子どもに申し訳なく思った私自身の昔も思い出される。

 戦後、女性は強くなったと言われる。確かに1975年の「国際女性年」、1979年の「女性差別撤廃条約採択」以来、日本においても法整備が進み、大きく女性の人権や地位は向上した。しかしながら、「産む」「産まない」という全く個人的なことでありながら、実は大きな社会的背景や意識のあり様のなかで、多くの女性たちの割り切れぬ思いや悩み、挫折感につながっていることを思う時、柳澤大臣の発言は余りに無神経で余りに無責任な発想だと時がたつにつれ私は余計に腹がたってきているのだ。

 “女性の本当の人権はまだまだ認められていないのではないか”“女たちの深いところでのため息や、あきらめにも似た哀しみはやはりわかってもらえないのではないか”と…。

 「産むこと」も「産めないこと」も「産まないこと」も、その人それぞれの「生き方そのもの」であるという受けとめ方ができる社会が来たとき、本当の意味で“安心して子を産み、育てられる社会”といえるのではないだろうか。