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コラム「徒然なるままに」(2008年1月)

ディーセント・ワークにむけて—涙の意味するもの…—

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

 NHKのドキュメンタリー番組「ワーキングプア3」を見た。

 このシリーズの1・2で、ゴミ箱に捨てられた雑誌を拾いそれを路上で売って暮らしていた若者が、道路清掃の仕事についていた。それでも月7万ほどの収入でしかなく、まだ路上生活ではあるが、街の銭湯に2日に1回入り、暖かい大盛りのご飯の定食を食べられる…そんな暮らしができるようになっていた。一緒に清掃仕事をしているNPOの仲間からも信頼を受け、とても“いい顔”になっていると感じた。

 その彼が、インタビュの途中、突然声を詰まらせ、泣いた。自分の涙に彼自身もちょっと驚いたかのようだったが、「前は泣くことなんかなかった。絶対に泣かなかった…。人らしい感情が取り戻せたのかな…」と言う言葉が非常に印象に残った。

 “仕事”を通して人とつながり、地域とつながり、社会との接点を実感する。そして仕事で得た賃金で人並みの生活をする…そんな当たり前のことが人としての原点であり、人としての尊厳につながるのだということをあらためて感じた場面だった。

 この彼のように、親の援助や行政の援助もなく「ギリギリ以下」の暮らしを余儀なくされている多くの人たちが存在する社会に今なってきている。そしてその多くが老人、若者、シングルマザーなどである。これらのことがようやく社会問題化し、法定最低賃金が久方ぶりに大幅に引き上げられるべく対策がとられ、大阪も昨年と比して19円アップした(それでも時間給731円であるが…)。そして、「最低賃金法」も改正されたが、「生活保護」との整合性という時、最低のセーフティネットであるべき“「生活保護」を下げる”という動きや考えがあることは、本末転倒であり何とも理解に苦しむ措置である。

 ILO(国際労働機関)が「ディーセントワーク(人間尊重の労働)の実現」を目標に掲げて久しい。“人が人らしく尊厳をもって、働き、生き、暮らす”−そんな労働のあり方を、賃金の側面からも、労働時間の側面からも、処遇の側面からも、そして地域や社会の支援のあり方も含め包括的に考え実現していく年に、新しい年2008年をしたいと心から思っている。

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