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コラム「徒然なるままに」(2006年4月)

「大人しい=大人の条件」とは…?!

連合大阪 事務局長 脇本ちよみ

  「美人の日本語」(山下景子著)という本がある。とてもおしゃれな装丁が気に入って買った本であるが、内容がまたおしゃれで、1年365日を1日1語ずつその語源や使い方、言葉の変遷などがエッセー調に書かれてある。

 その中で3月7日の言葉として「大人しい」が書かれてあった。「大人しい」とは、今は物静かであるとか、控えめであるとか、黙っているとか…そんなイメージの言葉として使われているが、語源は「大人」を形容詞化したもので、大人びている、成熟している様子を表す言葉だそうだ。もっとさかのぼると「音無」であり、つまり子どものように騒がず、静かで、落ち着いているという意味であるらしい。つまり、ただ“大人しい”だけでは「大人の条件」ではないということであろうか。

 今、毎日といっていいほど子どもが被害にも加害にもなる事件が多発し、「社会の在り様」そして社会を形成している「大人の在り様」が問われている時ではないかと思う。

子どもと遊ぶ父親のイラスト 連合大阪の長年の要請もあって、大阪府に「子どもの権利についての条例検討会議」が設置をされ、私もその委員になっている。その検討の中で、当事者である子どもたちから直接意見を聞こうということで「子ども会議」を行い、中学生・高校生からの意見提起を受けた。

 子どもたちは大人に対して「信頼できる大人」「頼りになる大人」「自分の言動に責任をもつ大人」「子どものSOSに気づく大人」「子どもの言葉や行動を理解する大人」「コミニュケーションのできる大人」「子どもの見本になる大人」「子どもがあこがれをもつ大人」を求めていると訴えた。聞きながら、私は子どもたちの大人への大きな期待と同時に本当の大人である条件とは何とむずかしいことかとあらためて思った。

 先ほどの本には、“静かに人の話が聞ける、穏やかに自分の意見が言える、そして漢字通り大きな心を持った人こそ本当の大人といえるのかもしれない…”と書かれてある。

 私自身、年齢を重ねるたびに同じことに対しても、見方や感じ方、対し方などがそれぞれ違ってきており、若いときの自分の行為を恥ずかしく思い出す時も多い。考えればそれらの積み重ねこそが「大人」への歩みなのかもしれない。今は亡き高校時代の恩師が「生きることは哀しい。しかし、その哀しみが不思議と豊かになっていくことが成長である」と言われたことがあった。高校時代には十分わからなかった言葉であるが、今思えばその豊かさのいくつもの重なりが本当に「大人しい」ことなのかもしれない。

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